ゆふゆふと網膜色素変性症と

ぶどう膜炎と網膜色素変性症による視覚障害者。でも、病気についてはそんなに書かないかも。イラストは視覚障害者になってから始めました。

気がかりは2つありまして

 

 

〇怯えているもの
2017・12・17

 

 

 

 

後部強膜炎網膜色素変性症によりステロイドの内服治療を行いつつ自宅療養の日々を過ごしている。
障害者手帳も取得した。

同じように、家族を養う立場にありながら病気にかかってしまい、働けなくなってしまった人達の参考になればと思い始めたこのブログ。

だけれど、そもそも目が悪いんだから文字を追いかけるのが非常に億劫なわけで、更新もあまり進まない…

薬の副作用も相まった鬱々とした療養生活がそれに拍車をかけるわけだが…

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そんな毎日なので、身体のみならず気にも病む事がわりとありまして。
そのなかでTOP2を勝手に垂れ流させていただく。



 ①生活資金


病気により、これまでの仕事を続けることが困難になり、休職にしている。

会社からの給与は出ないが、病気による休業なので傷病手当金を支給してもらっている。

とはいえ受取額は、ざっくり言えば今までの3分の2。

カツカツで生活してた我が家の家計は、どこぞの芸能人のブログごとく華麗に炎上。

状況を打開すべく嫁さんが正規社員として働きだしたんだけど、ヨガスタジオのインストラクターなので時間や曜日が不規則だったり、急に出れなくなった講師の代行を務めたりと動きの読みづらい状況に置かれてしまった。

つまり子供たちの食事や支度、保育園の送り迎えを僕が行っており、僕自身が正規雇用の座に就くことは困難になってしまった。
そもそも障害者という時点で高いハードルなのだが。


申し訳ないが、嫁さんの稼ぎじゃ今までに追いつかない。




②死ぬわけでなく続いてく

この病気は目の病であり、最終段階は失明であり、死に至ることはない。

だから逆に怖いのだ。

何も見えなくなっても生きている生きていくことは、今の僕にとって恐怖でしかない。

死んでしまった方が家族に負担をかけないし、保険金で家のローンも支払われるし、当面の生活費も困らない。

とは言っても、家族としては生きてた方が悲しみは少ないようだ。

それは最近、理解できたんだけど


コミュニケーションは取れるから。


耳は聞こえるし、声も出る。
視覚以外は正常のままなんだ。

どうやら僕は心の視野まで狭窄していたようだw



でもやっぱり、今まで見えてた世界が真っ暗になっても存在し続けなくてはいけないって、やっぱりしんどいと思う…