ゆふゆふと網膜色素変性症と

ぶどう膜炎と網膜色素変性症による視覚障害者。でも、病気についてはそんなに書かないかも。イラストは視覚障害者になってから始めました。

会社に最後の挨拶に行ってきた。

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上記イラストは太鼓橋から見た目黒川です。
10年以上ここを渡り会社に通っていました。
新たなスタートをイメージし、女学生を加えてみました。



前回のブログ記事にも書いた通り、2018念5月20日付で会社を正式に退職した。
去年の5月から休職扱いだった。

本当は休職ではなく退職のつもりでいたのだが、休職扱いにして傷病手当をもらった方がいいと会社側から教えられそれに従った。
その後、会社を辞めても傷病手当を支給されると知ったのだが、年金や保険、税金等は会社の経理で処理してもらっていた都合からそのまま休職という立場をとっていた。
子供の保育園も会社に在籍していなければ入り続けていられなかったと思う。

これがもっと大きな会社なら部署変えとかの措置で仕事を続けられたのかもしれないけれど、事務員含め9名の小さい会社じゃ他のポジションなんてあるはずがない。

車で現場まで移動したり、軽トラに機械や道具を積み込んで出かけたり、ピザ屋で見かける3輪のバイクで街をかけまわったり、基本的に運転を伴う仕事にとって目に支障があることは致命的だ。


5月20付で正式に退職とさせてもらうのは

10月で傷病手当が打ち切られるのでそれまでに仕事を見つけなくてはいけないし、そのためには正式に退職したほうがハローワークのサービスを受けやすいだろうということ。
だから3か月以上のスパンを設けたほうがいいだろうと判断し、会社と相談した結果だ。
それに自己都合退職の場合、失業保険が給付されるまでに3か月の待機期間があるはすだから、そういった意味でも都合は悪くなかった。


お礼を述べに

開店早々の池袋の西武で手土産(スムージー)をゲットし、山手線に乗り込む。
いつもなら音楽を聴きながら移動するんだけど、そんな気分ではなかった。
一年ぶり以上に目黒駅に降り立ったが、あんまり久しぶりという感じはしなかった。

ここから行人坂を下って太鼓橋を渡って、柳通りから山手通りを超えて不動通りの会社まで歩いていく。
東急の不動前駅から歩いたほうが距離は近いけれど、乗り換え等の時間を考えたらそんなに変わらないと思う。

入口ドアのチャイムを鳴らすときは少しだけ緊張した。

出迎えてくれた事務員はいつも通りの感覚で接してくれたし、僕も接することができた。

事務所内には社長と役員(社長の親戚の女性)がおり、懐かしむほどの空白期間でもないのに久しぶりの声も少し弾んだものになってしまった。

体調のことや家族のことを少し喋った後にお昼を食べに出かけた。

このランチの提案は役員の方によるものだ。
僕は最初、顔を出して挨拶をし早々に引き上げるつもりだった。

事務所前の不動通りは28日の縁日で、露店が出ていたり商店街の店が個々に店先に出物を広げていた。
10年前と比べると店数もお客さんも減少し、歩行者天国だったのも今では曖昧なものとなっている。

お昼は商店街の端にある老舗の蕎麦屋さんになった。
僕はランチと聞いた時に、焼肉とかイタリアン(役員が好きそうな)をイメージしていたので肩透かしを食らった面持ちだった。
社長としては2軒隣の有名な鰻屋も考えていたみたいだけど、予約していなかったし今からじゃ無理だろうとの判断だった。     

ちなみにその蕎麦屋さんで、毎年年末の仕事納めの日に社員全員で年越しそばを食べるのが慣例だった。

お昼を済ませると事務所に戻り、コーヒーをいただきながら談話を続けた。

身体のこととかこれからのこと。

子供の話や受けられる福祉についてなんかが主だった。

お土産もいっぱいもらった。
大きな箱と小さな箱、小さなビニールバッグに入ったもの。

子供でも食べられるようにと、全部お菓子だった。

帰り際、事務者の外で社長が立っていた。

そういえば僕が面接を受けたのはこの人だったな、と何となしに思った。


うまく頭がまとまらない中、帰路の電車に揺られていた。

習慣的にスマホのお知らせをチェックすると1件のメールが入っていた。

それは役員からのもので、どうやらいただいた土産の袋の中にメッセージカードが入っているようで、その中が一人分抜けているので今このメールで伝えるといった内容だった。

メッセージカードの存在にその時初めて気づいて、照れ臭かった。

家に着いてから封を開け、寄せ書き形式で作成されたメッセージカードを読むと、みんなの個性を感じられて面白く嬉しかった。


これで今現在、完全に何の肩書もなくなった。

病気を含めこれからどうなっていくのか、見通しも予想も立たないけど、一つの区切りとして新たなスタートを切ったのだと顔をあげていきたい。